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米こぼしの昔話

先日ご紹介しました、お正月の準備や当日のお話。

昔は大晦日からお正月にかけてを「年取り」とも言い、みんなでこの日に1才、年をとります、という日でした。いわば誕生日ですね。
誕生日だから、普段食べられないものを、お正月だけいただくわけです。
米の食べ始めであったり、餅をついたり、魚や肉などをたんまり食べてお酒も飲みましょう…と。

にしても、現代人が全てこの通りにお正月を過ごすと、確実に体重が増えてしまうであろうスケジュールです。
神様にも量は違えど同じ様な食事を供えているので、もしかしたら神様も…


さて、今回紹介する昔話は私たちの主食「米」にまつわる話にしてみましょうか。


「米こぼし」

女神山の裏木戸から登ると、不動滝の上の方、俗に「米こぼし」というところがある。

昔そこにこもった一族が、米をこぼして水のごとくみせ、敵をあざむいた。
寄せ手の者が里の洗濯女に城の中に水源があるかと訊ねると、
「あれは米で、水ではないのです」
と洗濯女は教えてしまった。
水の無いことがばれてしまったために、一族は敵に滅ぼされてしまった。

米こぼしと言われるその辺りでは、最近まで米粒がでてくることがあったという。






この昔話を聞いたことがあるという方は多いのではないでしょうか。
もしかしたら、あなたの知っているお話は「洗濯女が教えた」ところが、
「おばあさんが教えた」、「鳥が米をついばんでいるところを見らればれてしまった」と、ちょっと一部が変わっているかもしれません。

この「米をこぼして川のように見せ、敵をあざむく」という話は、
青森県、宮城県、石川県、埼玉県、高知県、京都府、鹿児島県
全国のいたるところに散らばっています。
日本の民俗学の第一人者・柳田國男もこのお話を調査していて、「白米城伝説の実例」「再び白米城の伝説に就きて」という論文も発表しています。

なぜ各地に同じお話あるのか?
柳田國男の論文によるところでは、あるき神子、あるき巫女という、全国を歩きながら祈祷やまじないをして暮らす人々の口伝によるものではないか、といいます。

また、早稲田大学オープンカレッジ秋期講座 「朝鮮からみた日本海域の神話伝承」
こちらの論文では、
“日本の白米城伝説は、山城の築城行為と関係のある百済系渡来人によって伝えられた朝鮮の洗馬台伝説が原型であり、近世の地方の軍記物に記録されている例が非常に多いところを見ると、後世、語り物などによって全国に伝播していったと考えられる。”
といった説もあります。


「どこかで聞いた事のある昔話」、例えば瓜子姫、猿蟹合戦、桃太郎など有名な昔話は、分布を調べてみるとなかなか面白ものです。
分布だけでなく、話によって登場する動物が違かったり、ストーリーの流れや、場合によってはオチが全く別物になっていたり。

物語のルーツを辿れば辿るほど、語り部たちの顔が見えるようですね。
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新年、明けましておめでとうございます

謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、今年は辰年。“立つ”年でもあります。昨年は災いの多い年でしたが、今年はそれを乗り越え立ち上がる年になってほしいものです。

辰年ということで、辰に関するいい昔話はないものか…
とも思ったのですが、なかなか見つからず。
空想上の生き物として、あまり馴染みのない干支なのかもしれません。

来年の干支、蛇だったらたくさん昔話があるのですが。

昔蛇は、恐れられながらも、害獣であるねずみを駆逐してくれる生き物としてあがめられてきたため、お話が多く残っています。
大蛇の話、蛇が化けた話、蛇にたたられた話。
今回はそんな蛇のお話をひとつご紹介させてもらいます。



蛇なめ石のこと

 むかしむかし、布川村のある大邸宅に庭園をつくることになり、数十人の人足を駆使して、さまざま大小の石を邸内に運んでいた。

 その中の一つ、これは小手姫さま御前堂近くの川原から運んでいった大石であるが、邸内の門にさしかかったところ、どうしたものかそれより後にも先にもビタとも動かなくなってしまった。
 数人の頭株の者が集り相談をしたが、なんの名案も浮んでこない。

 思案に余っていると、一人の真白いひげの老人がやってきた。
 老人は、石を眺めたりすかしたりして見ていたが、
「どうもこの石は蛇に関係がありそうだ。大蛇がなめた形跡がみられる。大蛇は女の髪の毛を好むから、髪の毛の網をかければ動くかも知れん。」
と教えて何処ともなく立去っていった。

 やがて寄せ集められた女の髪の毛で一本の太い網がよられた。
「それ引いてみろ。」
と掛け声もろとも、今までビタともしなかった大石がグラリと一回転し、後はスルスルと邸内になんの苦もなく運び込まれたという。
 それからこの石のことを「蛇なめ石」と呼ぶようになった。


CIMG0223.jpg 御前堂こと布川の小手姫神社

上の写真のように、お話の中には、実在する場所も登場します。
残念ながら、蛇なめ石については現存しているか分かりませんが、石を持ってきたという川はいまも流れています。



似たお話をどこかで聞いた気がしたのですが、失念してしまい、検索をかけてもなかなか該当するお話が出てこなかったのでその辺りは追々調べておきたいところです。
西日本ですと、女性の髪の毛が蛇になるといった昔話もありますね。


蛇に関する伝承や民話は羅列するとキリがありません。
それほど身近なものでもあるということでしょう。

むかしばなし、始めました。


もういくつ寝るとお正月、いかがお過ごしでしょうか。

つきだてグリーン・ツーリズムの冬の教室・体験ではしめ縄や門松の教室を実施、
参加者のみなさんには様々な正月飾りを作っていただきました!
CIMG1903.jpg
松竹梅そろえておめでたいお正月を迎えましょ。
しめ縄や門松は参加者さんにお持ち帰りしていただいて、おうちに飾っていただく予定です。

ちなみにこの門松(完成品)や、また、輪締め、ごぼう締めなど、いろいろな種類のしめ縄は
つきだて交流館もりもりで現在販売中!






さて、今回は月舘町上手渡地区に伝わるお正月の昔話をご紹介します。


「門松を立てないお正月」

 これは、上手渡のある旧家に伝えられていた、今から600年以上前のおはなしである。
 時は後醍醐天皇の頃、元弘元年(西暦1331年頃)南北朝の戦いに、
上手渡から石川掃部頭(ほうきのかみ)時房という人が新田勢に加わり、笠置山に出陣。以来59年間にわたって、大小の戦いが続いたという。

 さしものこの長い戦いも元中九年(1390年頃)に終り、時房はこの時出羽国本道寺で終戦を迎えた。
 その年の春、時房とその郎党は望郷の念止み難く、懐かしい故郷、遥かなる陸奥国上手渡を指して出発した。出陣時の若武者も、今は既に翁の面をしていた。

 道中秋も過ぎ、そしてようよう上手渡の地に着いたときは雪の降る大晦日の深夜であった。
このような事で何の御馳走もなく、門松を迎える準備さえないまま元旦を迎える事になった。

 時房たちは、苦しかった長い長い戦の事を懐かしみながら、なお無事で帰った事を記念し、これを子孫にも永く伝えようと誓い合った。
それから600余年過ぎた今日でも、未だに門松は迎えるが立てない風習となって今日まで伝えられている。


出典:月舘町伝承民話集





門松を飾らないという伝承・民話では、姉埼神社の支那斗弁命(しなとべのみこと)のお話が有名かもしれませんね。
「待つ」に通じる松が忌まれるようになったため、あちらでは門榊という榊でできた飾りを飾るのだとか。




月舘町近辺にもいくつか、代々門松を飾っていないというおうちがあります。理由は前述したようなお話や、年末に不幸があり、それ以来我が家では門松を飾らないようにしている、といった話が多いですね。
全く同じではないのですが、このお話には盆棚Ver.があったりもします。


最近ではクリスマスはツリーを飾るのに、お正月の飾りは無い…というおうちがあって寂しい限りです。
年末年始の彩りが!
年神さまが来た気がしない!
せめて紙の門松だけでも飾りましょうよ…!

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月舘GT

Author:月舘GT
つきだてグリーン・ツーリズムです。福島県伊達市月舘町を中心に活動しております。主にイベントや月舘の情報、四季などを紹介していきます。 たまに月舘町外へのお出かけも。
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