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新年、明けましておめでとうございます

謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、今年は辰年。“立つ”年でもあります。昨年は災いの多い年でしたが、今年はそれを乗り越え立ち上がる年になってほしいものです。

辰年ということで、辰に関するいい昔話はないものか…
とも思ったのですが、なかなか見つからず。
空想上の生き物として、あまり馴染みのない干支なのかもしれません。

来年の干支、蛇だったらたくさん昔話があるのですが。

昔蛇は、恐れられながらも、害獣であるねずみを駆逐してくれる生き物としてあがめられてきたため、お話が多く残っています。
大蛇の話、蛇が化けた話、蛇にたたられた話。
今回はそんな蛇のお話をひとつご紹介させてもらいます。



蛇なめ石のこと

 むかしむかし、布川村のある大邸宅に庭園をつくることになり、数十人の人足を駆使して、さまざま大小の石を邸内に運んでいた。

 その中の一つ、これは小手姫さま御前堂近くの川原から運んでいった大石であるが、邸内の門にさしかかったところ、どうしたものかそれより後にも先にもビタとも動かなくなってしまった。
 数人の頭株の者が集り相談をしたが、なんの名案も浮んでこない。

 思案に余っていると、一人の真白いひげの老人がやってきた。
 老人は、石を眺めたりすかしたりして見ていたが、
「どうもこの石は蛇に関係がありそうだ。大蛇がなめた形跡がみられる。大蛇は女の髪の毛を好むから、髪の毛の網をかければ動くかも知れん。」
と教えて何処ともなく立去っていった。

 やがて寄せ集められた女の髪の毛で一本の太い網がよられた。
「それ引いてみろ。」
と掛け声もろとも、今までビタともしなかった大石がグラリと一回転し、後はスルスルと邸内になんの苦もなく運び込まれたという。
 それからこの石のことを「蛇なめ石」と呼ぶようになった。


CIMG0223.jpg 御前堂こと布川の小手姫神社

上の写真のように、お話の中には、実在する場所も登場します。
残念ながら、蛇なめ石については現存しているか分かりませんが、石を持ってきたという川はいまも流れています。



似たお話をどこかで聞いた気がしたのですが、失念してしまい、検索をかけてもなかなか該当するお話が出てこなかったのでその辺りは追々調べておきたいところです。
西日本ですと、女性の髪の毛が蛇になるといった昔話もありますね。


蛇に関する伝承や民話は羅列するとキリがありません。
それほど身近なものでもあるということでしょう。

月舘のお正月【後編】

お正月には凧揚げて、独楽をまわして遊びましょう、なんて童謡もありますが大人はそうはいきません。
ご馳走や子ども達へのお年玉の準備、初売りへの参戦…
忙しかったりするのです。

仕方ありません。お正月は年一番の行事!昔のお正月は忙しくもあり一番華やかな時期だったのです。

お正月本番編
CIMG2165.jpg CIMG2166.jpg
除夜の鐘を聞くころ、神社に初詣に行きます。
しめ縄が新しくなっているほか、柱の両足元に松飾りがありますね。
火を焚いてみかんを配っている神社なんかもあって、都心の人ごみにごった返す初詣と比べるとほっこりゆったいしているんですよ。
昔は最寄の神社ではなく、山の上の本社に参るという方が多かったようで、御幸山の観音様参り、福島市の羽黒神社参りなどに行く人も多かったそう。


神棚と年神棚のある部屋(ナカマ)には家にある掛け軸を全て出して飾ります。このときにしか見られない一品もあるかもしれませんね。
ちなみに我が家の神棚(新品)
CIMG2173.jpg
ブレているし暗いしでちょっと分かりづらいですが、下の方には年越し前に神社でいただいてきたお札が貼ってあります。
我が家では新築にあたり、新しい神棚を迎えたのですが、ちょっと今までのものと違うところが多く、戸惑うことがありました。これについては後日こちらのブログでまとめてみます。


日の昇ったころに餅つきをします。この餅は家々によって内容や名前が違うのが面白い。
アカアカ餅
小豆を入れる紅色の餅。白い餅にあんこをまぶしたものや、納豆などを入れた餅をこう言って食べる家も。
このアカアカ餅は相馬地方からきたものではないかとも言われており、町内でアカアカ餅を食べる家は相馬氏の信仰する「妙見さま」を信仰していることが多いそうです。

ワカワカ餅
雪の下に芽を出した春の草をとって餅と一緒についたもの。
七草粥にもあるように、若草の生気を取り入れようという意味合いがあったようです。

黄金餅
粟6割、餅米4割でついた餅。
お神酒、栗、干し柿、干魚などと一緒に年神さまに供える。

ちなみに現在ではどの家でも食べているお雑煮などは、後から伝わったものだといわれています。

餅のほかには、大晦日までに用意したザクザクや納豆、数の子、お漬け物、鮭を食べます。
今では豪華なおせち料理が主流ですが、昔は海の幸もそんなにたくさん食べられたわけではなかったのでとても質素だったのです。


買い初め・書初め・初夢
このあたりは現代とほとんど変わっていません。買い初め(初売り)の大売出しに参戦し、若水を汲み書初め、「一富士、二鷹、三茄子」の夢がみられますように、と床につく。
良い初夢をみるために、
「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」
(永き世の遠の眠りのみな目ざめ波乗り船の音のよきかな)
という回文を紙に書いて枕の下に入れて寝るとよいのだそうです。


お正月も3日目ともなると豪華な食事もちょっと食べ飽きてきます。
そんな3日の晩御飯は「三日とろろ」。
この日にとろろごはんを食べると、一年風邪をひかず元気にすごすことができるのだとか。

出典:月舘町の民俗





行事が目白押し!
今回写真が準備できなかったので、写真が撮れたら年明けにでもアップしたいところ。
我が家でも由緒正しいお正月をおくる予定です。
1月6日、写真を追加しました。

ではみなさま、良いお年を!


テーマ : お祭り&行事
ジャンル : 地域情報

月舘のお正月【前編】

毎年のお正月を、みなさんはどうお過ごしでしょうか?

ここ月舘町では、初詣や餅つき、書初め、買い初めなど、行事としては全国的にみられるお正月と同じです。

しかし、内容が全て同じとは限りません。また、家々で少しずつ違う行事もあります。今回は月舘の正月について紹介していきましょう。


お正月準備編
お正月の準備は25日の「大煤払い」から始まります。
山から笹をとってきて笹ほうきを作り、屋根や梁、神棚などを払い一年間にたまった煤をとります。

前回のブログにも載せた門松、しめ縄は28日頃作ります。
まず、アキの方角(恵方)の山へ行き、田作りとオサゴ(神様に供えるお米)を供えて神棚や門松に使う松を切ってくる、松迎えを行います。
そしてしめ縄。
家々によって形が違いますが大きめの大根締めやごぼう締めは、神棚(蔵にも神棚がある場合はそちらにも)、年神棚、床の間などに飾ります。
輪飾りは玄関、台所、トイレ、穀入れ(米を貯蔵する場所)や農機具などにかけておきます。
年神棚のある部屋は長い年縄をぐるっとまわしておくという家もあるそうです。

CIMG2471.jpg CIMG2508.jpg
こちらは神社のしめ縄作り。家のしめ縄とだいたい同じ時期に作る。大きいので数人がかりで作ります。

また、この頃に納豆作りをしたり、イカ人参などを漬けたり、餅つき(鏡餅などのお供え用)などをします。
ある家では、出来上がった納豆を大晦日まで神棚にあげておく、とも。お正月は作物の食べ初めでもあり、昔は新米もお正月を迎えるまで食べなかったそうです。

大晦日編
大晦日の夜は「年取り」。
家の男性達が服装をあらためて「門松参り」をし、お神酒開きをして祝います。
その後一家団欒で塩引き(俵入りの鮭)、ザクザクという大根や凍み豆腐や人参などの煮物などのご馳走を食べたそうです。

ちなみにお正月には鮭を食べる家が主ですが、タラやカレイなどを食べる家もあるそう。ちなみに我が家は昔からカレイ派。


逆に食べてはいけないものもあり、そのひとつが川魚の鱒です。「鱒食うと、三年前の古傷までおきる」ということわざもあるほど嫌われています。

更に「してはいけないこと」がある家も。
ある家では、元日の朝まで火種を消してはならないといって、大晦日は12時頃まで眠らず、日付が変わる頃オキになった炭にたっぷり灰をかけて火種がなくならないようにして寝たといいます。
「お通夜のとき線香を絶やしてはならない」にも似ていますね。まあ、意味合いがちょっと違いますが。


さて、年神さまを迎える準備ができました。いよいよ年が明けます。

テーマ : お祭り&行事
ジャンル : 地域情報

むかしばなし、始めました。


もういくつ寝るとお正月、いかがお過ごしでしょうか。

つきだてグリーン・ツーリズムの冬の教室・体験ではしめ縄や門松の教室を実施、
参加者のみなさんには様々な正月飾りを作っていただきました!
CIMG1903.jpg
松竹梅そろえておめでたいお正月を迎えましょ。
しめ縄や門松は参加者さんにお持ち帰りしていただいて、おうちに飾っていただく予定です。

ちなみにこの門松(完成品)や、また、輪締め、ごぼう締めなど、いろいろな種類のしめ縄は
つきだて交流館もりもりで現在販売中!






さて、今回は月舘町上手渡地区に伝わるお正月の昔話をご紹介します。


「門松を立てないお正月」

 これは、上手渡のある旧家に伝えられていた、今から600年以上前のおはなしである。
 時は後醍醐天皇の頃、元弘元年(西暦1331年頃)南北朝の戦いに、
上手渡から石川掃部頭(ほうきのかみ)時房という人が新田勢に加わり、笠置山に出陣。以来59年間にわたって、大小の戦いが続いたという。

 さしものこの長い戦いも元中九年(1390年頃)に終り、時房はこの時出羽国本道寺で終戦を迎えた。
 その年の春、時房とその郎党は望郷の念止み難く、懐かしい故郷、遥かなる陸奥国上手渡を指して出発した。出陣時の若武者も、今は既に翁の面をしていた。

 道中秋も過ぎ、そしてようよう上手渡の地に着いたときは雪の降る大晦日の深夜であった。
このような事で何の御馳走もなく、門松を迎える準備さえないまま元旦を迎える事になった。

 時房たちは、苦しかった長い長い戦の事を懐かしみながら、なお無事で帰った事を記念し、これを子孫にも永く伝えようと誓い合った。
それから600余年過ぎた今日でも、未だに門松は迎えるが立てない風習となって今日まで伝えられている。


出典:月舘町伝承民話集





門松を飾らないという伝承・民話では、姉埼神社の支那斗弁命(しなとべのみこと)のお話が有名かもしれませんね。
「待つ」に通じる松が忌まれるようになったため、あちらでは門榊という榊でできた飾りを飾るのだとか。




月舘町近辺にもいくつか、代々門松を飾っていないというおうちがあります。理由は前述したようなお話や、年末に不幸があり、それ以来我が家では門松を飾らないようにしている、といった話が多いですね。
全く同じではないのですが、このお話には盆棚Ver.があったりもします。


最近ではクリスマスはツリーを飾るのに、お正月の飾りは無い…というおうちがあって寂しい限りです。
年末年始の彩りが!
年神さまが来た気がしない!
せめて紙の門松だけでも飾りましょうよ…!

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月舘GT

Author:月舘GT
つきだてグリーン・ツーリズムです。福島県伊達市月舘町を中心に活動しております。主にイベントや月舘の情報、四季などを紹介していきます。 たまに月舘町外へのお出かけも。
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